二〇二六年 七月十五日
銅鍋の話
うちの厨房で一番えらいのは、五代目のわたしやのうて、昭和二十一年からいる銅鍋です。空襲で店が焼けたとき、蔵に残ったんはこの鍋ひとつでした。先代いわく「鍋が覚えとる」——火の通り方も、餡の機嫌も。
火の番は代々、当主の仕事です。継いだばかりの頃、一度だけ焦がしました。先代は何も言わず、その日の餡を全部捨てました。始末の店が餡を捨てる。あれほど堪えた沈黙はありません。
以来、火の前では携帯を触りません。六時間、鍋の声だけ聞いています。リニューアルで包みも売り方も変えましたが、この六時間だけは、明治から一秒も変わっていません。
御菓子司 此花堂 五代目・春部 梅太郎(架空)